山根康宏のワールドeSIMレポート
2024年6月28日

eSIM登場で消えゆく香港の「SIM屋台」

オンラインで購入できるプリペイドのeSIMは、キャリア側にとってもSIMカードの在庫を置く必要が無く、また販売店やSIMカード発送の手間も省けるなどコストメリットの大きな商品です。ユーザー側にとっても「欲しい」と思った時にすぐ買えるeSIMは便利な存在でしょう。しかしSIMカードが割引され格安で販売されているとしたら話は別です。特にアジア各国ではSIMカードを販売する業者が街中に多数ある都市もあるくらいです。今回は香港名物ともいえる「SIMカード屋台」と、eSIMや実名登録化後に起きた動きを紹介します。

定価の半額以下で買える香港のSIM屋台

プリペイドのSIMカードを販売する屋台というのは想像しにくいかもしれませんが、東南アジアでは今でもよくみかけます。とはいえキャリアの代理店が現地の商習慣から屋台のような簡素な店舗で営業していることも多く、キャリアだろうが屋台だろうが販売する商品はそう変わらない、ということもあります。一方では独立系のSIMカード販売店として多数のSIMカードを揃えている屋台も見られます。香港のSIMカード屋台もそんな店舗です。

香港の下町でもある深水埗エリアにはSIM屋台が多く見られます。地下鉄の深水埗駅を降りて、たとえば鴨寮街という雑貨屋台通りを歩けばSIMカード販売店が普通にあります。香港ではSIMカードは空港やコンビニでも売っており、購入の敷居はとても低く誰もが気軽に買うことができます。そのためわざわざSIMカードを売る屋台まで行って買う必要はない、と思われるかもしれません。

 

SIM屋台の一例。ずらりとSIMカードが並ぶ

ところがこのSIMカード屋台、販売されているSIMカードの種類が多いだけではなく、価格がかなり安いのです。たとえばこの写真を見ると、手前の方にマジックで数字が書かれたSIMカードがいつくか並べられています。お店としてもこれらがイチオシ商品ということなのでしょう。このイチオシ商品はしょっちゅう変わるようで、翌週訪問すると別のSIMカードが並べられているということもよくあります。

 

イチオシ商品は手前に陳列

ここでマジックで書かれた数字(金額)に注目してください。オレンジの1年30GBパッケージは定価が198香港ドル(約4000円)ですが60(約1200円)と書かれています。灰色の1年70GBのものは358(約7200円)に対して100(約2000円)です。計算するとそれぞれ約7割引と、定価の3割の激安価格で販売されているのです。となればわざわざこの屋台に電車賃と時間をかけて買いに行っても十分お得にでしょう。

 

別の店舗にて。定価より大幅に安い

実際に香港に旅行に来るリピーターは、ここでSIMカードを買うという人が多いようです。香港用のSIMカードはアマゾンなどでも購入でき、中には定価より安いものもありますが、ここまで割引されたものは無いでしょう。

コロナが変えたSIM屋台の姿

さてコロナ前はSIMカード屋台は大盛況で、海外用のプリペイドSIMカードも各国や地域別に多数が販売されていました。特に人気だったのは日本のSIMカードで、日本で買うよりも割安、しかも種類も豊富ということで多くの香港人がここにやってきては買っていました。ところがコロナに入ってから海外旅行が不可能となり、SIMカード屋台も存続の危機を迎えました。海外用プリペイドSIMカードをいくら安くしようが、海外に行けないのですから購入者が皆無になりました。

ところがコロナにより在宅時間が多くなったことで、香港の国内用プリペイドSIMカードの需要が急激に高まったのです。昼間は学校や会社、夜だけ自宅にいるような人は、家に光回線を引いていなかったり、低速な回線を使っている人も多くいます。しかしコロナで24時間自宅にいることが増えると、年契約や工事が必要な光回線を契約するのではなく、大容量のプリペイドSIMカードで手っ取り早く自宅のネット回線を構築する人が増えたのです。

香港用のプリペイドSIMカードは、コロナ前までは有効期限が半年、販売価格は1000円程度で1か月数GB使える、というものが主流でした。購入者は有効期限内に残高を追加すれば、また翌月も使え有効期限もそこから半年伸びたのです。しかしコロナになると「1年300GB」のように、高容量のプリペイドSIMカードが増えました。これを数カ月おきに買って行けば、自宅のネット回線にも困りません。

ということでパンデミックで大ダメージを受けたSIMカード屋台も、新たな商材の登場で生き残ることができました。しかし今、SIMカード屋台には大きな逆風が吹いています。

eSIM登場で海外用、香港用も需要減

まずは物理的なプリペイドSIMカードの需要が減ってきていることです。たとえば「夏休みにバンコクに行こう」と思ったら、スマートフォンの回線はどうするでしょうか?自分のキャリアの国際ローミングも安くなってきているのでそれを使う人も多いでしょうし、海外旅行用のWi-Fiルーターを借りる人もいるでしょう。そしてより安価な海外用SIMカードも増えました。ネットで「バンコク SIMカード」と検索すれば多数の商品がすぐに出てきます。しかもeSIMの登場により、出発直前の空港でも通信回線を入手できるようになりました。物理的なSIMカードを買いに行く手間も、送ってもらう時間を考える必要も無いのです。

香港でも海外用にeSIMを使う人は増えており、SIMカード屋台を定期的に訪問してみると全体的な在庫の数が減ってきていることを実感します。もちろん定価より安く買うことはできますが、旅行や出張直前の時間が無い中に屋台まで行くのも大変です。

キャリア側も、たとえばChina Unicom Hong Kong(中国聯通香港)は海外用プリペイドSIMを多数そろえており、その多くがeSIM対応です。以前の記事で紹介した中国用のeSIMもChina Unicom Hong Kongのものでした。

 

「壁越え」必須の中国用eSIMは事前オンライン購入がお勧め

従来はキャリアが自社回線を使ってもらうため、販売代理店などにプリペイドSIMカードを安く卸し、それがSIMカード屋台にも回ってきて販売されていました。しかしオンラインで自社のeSIMを販売できるようになれば、販路は世界中に広がります。キャリア側としても物理的なSIMカードを割引して流通させ、市中の店舗で販売する必要性が薄れてきているのでしょう。

 

China Unicom Hong Kongは海外用プリペイドSIMにeSIMも提供

実名登録が必須になり追い打ちをかける

それに加えて香港用のプリペイドSIMは、SIMカードもeSIMもどちらも2023年3月から実名登録が必要となりました。それ以前は使い捨て感覚でSIMを買い、電話番号も自由に変えることができたのです。なお電話番号が自由に買えると犯罪が増えることが懸念されますが、香港のように狭い都市国家では域内犯罪はつかまりやすく、身元不明の電話番号を使った犯罪はほぼ起きていません。

プリペイドSIMカードを屋台で買って、さらにオンラインで実名登録するというのは意外と面倒なものです。そうなると香港用のプリペイドSIMカードを買わずとも、観光客なら自国回線の国際ローミングや自国で買える香港用SIMカードを使い、香港の居住者はキャリアのデータ追加プランなどを利用するようになります。定価以下でプリペイドSIMカードを売るSIMカード屋台の役割はそろそろ終わりなのでしょうか。

 

香港のプリペイドSIM実名登録スキーム

それでも無くならないSIM屋台

eSIM搭載のスマートフォンは増えていますが、だからといってユーザーがeSIMを使うとは限りません。アメリカ販売のiPhoneのようにeSIMのみのモデルなら強制的にeSIMを使うしかありませんが、今でも多くのユーザーは物理的なSIMカードを使っています。香港ではMVNOキャリアが積極的に格安のプリペイドSIMも販売しており、市場が縮小しようとも少しでも利益を上げようと今でもSIMカードの新製品を出しています。

またMVNOキャリアはeSIMへの投資を行えない規模のところも多く、eSIMを出したくても出せないのが実情です。そのためSIMカード屋台のような商品の販路を広げる店舗は必要であり、SIMカード屋台がすぐになくなるということは無さそうです。そしてMVNOキャリアがeSIMに対応できたとしても、後発ではオンラインでも販売数を広げることが難しいでしょう。そうなるとSIMカード屋台でQRコードを売る、といった販売方法も出てくるかもしれません。

前述した深水埗の鴨寮街や桂林街にはSIMカード屋台が今日も元気に営業しています。香港を訪れたら立ち寄ってみるのもいいかもしれません。もしかするとeSIMが販売されているかもしれませんから。

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